私は「会社員という働き方は自分には向いていない」と感じ、
次第に起業するという選択肢へと思考が傾いていきました。
そうすると、不思議なことに、いろいろな人たちが寄ってきました。
「これをやれば成功して、たくさんお金が入るよ」
「アスリートには営業が向いている」
「これに投資すれば、将来の不安はなくなる」
実際に行動を始めると、今度はこんな言葉も投げかけられるようになります。
「元アスリートだから、これくらい耐えられるでしょ」
「元アスリートのくせに」
「スポーツしかやってこなかったから、社会に出たら何もできない」
そんな言葉に触れるたび、
「自分は一体、何をやっているんだろう」
そう思う日もありました。
それでも私は、反骨心だけを頼りに、ひたすら行動し続けていました。
親にはとても言えないような日々を過ごしていたこともあります
(法を犯すようなことではありませんが)。
気づけば、自分の心にはぽっかりと穴が空き、
周りにいたはずの友人たちも、少しずつ離れていっていました。
この頃の私は、
自分の未来に期待することができず、
まるで「自分ではない誰かの人生」を生きているような感覚でした。
誰かに「やれ」と言われたことを、愚直にやり、
誰かに「こう言え」と言われた言葉を、そのまま口にする。
「自分らしさを出すのは、
当たり前のことができるようになってからでいい」
そんな考え方が、いつの間にか自分の中に染みついていました。
それが“普通”なのかもしれません。
でも私には、その「普通」がどうしても合わなかった。
自分の人生を生きたい。
自分が納得した形で決断し、進みたい。
そう強く思うようになりました。
私に選択肢を与えてくれた人たちに、その想いを伝えた時、
多くの人が、同じ言葉を口にしました。
「あなたの人生なんだから、あなたが決めたらいい」
「元アスリート」というラベルは、
時に強みになります。
しかし同時に、
内面や葛藤を見てもらえていない、
一人の人間として見られていないような、
そんな感覚を覚えることもありました。
今振り返ると、
私は「何をやるか」ばかりを考え、
「どう在りたいか」という問いを、置き去りにしていたのだと思います。
いろんな人に言われた
「これをやったらいいよ」という言葉は、
あくまで選択肢の一つでしかありません。
その前提に、
「自分はどう在りたいのか」という軸がなければ、
いつか気づくかもしれない“本当の自分”を、
ただ待ち続けるだけになってしまう。
そんなことに、ようやく気づきました。

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